今3歳6ヶ月のわが子は、自分の身に危険なことが起きた時、それに瞬間的に対応する能力が高いです。
危ない目に合っても怪我をしないように上手に体をコントロールすることができるのです。
これは頭の中でまわりの状況を把握して、どのように体を動かせばいいのか判断することが必要です。情報処理能力が必要なのです。
わが子には優れた情報処理能力が備わっているのですが、まだまだ足りないことがわかりました。
目次
わが子の危険対応能力
わが子は転倒しても上手に体を守れるようです。
家庭用の小さな滑り台から転落しましたが、まったく怪我をしませんでした。
このことについては危険を最大限回避できる力を持ったわが子と言う記事を書いていますので、興味のある方はぜひご覧ください。
-
危険を最大限回避できる力を持ったわが子
続きを見る
また自転車で転倒しても怪我をしません。
怪我をしないように考えて倒れることができています。
このことについても過去に記事を書いています。そんな馬鹿な! 自転車で転倒して完璧な怪我防止の行動をとっさに取れるとは!と言う記事がありますので、ぜひご覧ください。
-
そんな馬鹿な! 自転車で転倒して完璧な怪我防止の行動をとっさに取れるとは!
続きを見る
これらの過去記事で転倒時に身を守る能力について考えています。
今回は瞬間的に状況を判断する能力について記事を書きました。
先に紹介した2つの過去記事同様、あまり他では見られない子供の行動を独自の考えでまとめた記事になります。
この記事はめちゃくちゃな理論の上で書かれています。決して正しいものではない可能性があることを理解して読んでいただけたら幸いです。
わが子の頭の回転の速さ
わが子がLDKのジョイントマットの上で、白い所だけ選んで走る遊びをしていました。
59cm四方のジョイントマットの白い所だけ踏んで走るのです。ジグザグに走ることになります。
わが子はこの遊びを自分で考えてやり始めました。
1つのジョイントマットに1回ずつ足を運んで飛ぶようにして走るには、わが子は体が小さすぎます。そのためわが子は、白のジョイントマットの上を2歩にしたり1歩にしたりしながら、その都度動きを変えて走りました。
しかしゆっくり走ることなく全力で走るので、どこに足を着くのか一瞬で判断しなければなりません。ポンポンポンとリズミカルに走ることはできないので、一歩ごとにどのように走るのか考えていかなければならないのです。3歳児にはちょっと難しい遊びだと思います。
しかしわが子は簡単に白い所だけ選んで走っていました。
この偉業はあまり理解されないかもしれません。瞬間的に体の動きを状況に合わせて変えるのですから、大人でもできない人が多いと思います。
私は、これはすごいと狂喜しました。私と同じ才能がありそうです。サッカーなどをやったら、誰にも負けないんじゃないかと思いました。
そこでもう一度やるように言うと、またまたわが子は複雑な動きをして走ってくれました。しかし最後2枚を少し失敗したようです。
動画撮影するためスマートホンを用意してもう一度やるように言うと、わが子はそれを拒否しました。残念な気持ちはありましたが、このようにやって欲しいことをわが子が拒否するのは、よくあることでした。すごいことをやったからもう一度やるように言っても、絶対にやらないことはしょっちゅうです。仕方がないと諦めました。
しかしこの時に、私はどうしてわが子がすごいことをした時に、何度も繰り返しやらないのか初めて理解しました。
今回の遊びでは、2回目のトライでラスト2枚を失敗しています。ということは、わが子にとってはそこが限界点だった可能性があるのです。難しいことができた時、それをするために精神力をすべて使い果たしてしまうこともあるのではないかと思ったのです。
私は子供のころ0.1秒の時間があれば、走っている時の足の着く位置を5m先まで楽々計算できました。私の見立てでは、わが子は0.1秒で60cm先を読んでいます。これはなかなかすごい能力で、瞬間的に状況を読んで走ることは疲れるのかもしれません。
しかし私の子供ですから、そのくらいなら100回やっても精神的には楽勝だと思っていました。
しかし実際は、8m先を読んで走っただけで限界だったようです。一瞬でどのように走るのか判断できる能力を持っているようですが、それを続けられないようです。これを高めていくことで、サッカーなどのスポーツをする時とても有利になるでしょう。
瞬間的に状況合わせて体をコントロールする能力は、わが子は1歳2ヶ月から驚異的でした。足場の悪い急斜面を簡単に走り降りられました。一歩ごとに悪路で足を取られるので、その都度バランスをとっていかなければなりません。それを楽しそうに簡単にやっていたのです。1歳の時のわが子と同じように悪路を走ることができる人間は結構珍しいと思います。
このような遊びを徹底的にさせることで、状況に合わせて体を動かすために使う計算能力を、これから強大にしていけたらいいなと思います。情報処理能力をまだまだ上げることが必要です。
手を抜いて行動する理由
少々気になることもあります。真剣になると抜群の能力を持つ人間は、平常時に手を抜くのです。
ジャングルジムから転落する、階段から転げ落ちるなど、わが子は普通ではあり得ないことをします。
先日わが子ははテレビを見ながら椅子に座ろうとして、正しい位置に座れなかったので椅子から転げました。
椅子に座ってテレビを見ようする場合、普通は以下のように行動するでしょう。
まずテレビを見ながら椅子のところまで行きます。椅子のところまで来たらテレビを見るのを止めて椅子を見ながら座ります。座った後でテレビに視線を戻します。
しかしわが子はずっとテレビを見たまま椅子を見ずに座ろうとして転倒し、それでもテレビから視線を離さずに起き上がり、椅子の位置も確認せずにテレビだけを見ながらもう一度椅子に座りました。
わが子は自分が椅子に座り損ねて倒れたことに驚くことはまったくありませんでした。
わが子は思ったことしかやらないのではありません。今回の件では、テレビが見たいからそれ以外のことが目に入らないのではないのです。椅子の位置も確認しないくらい、テレビに集中していたわけではありません。
(その時は)「テレビ以外のことは興味がなかったので、あえてテレビ以外のことは考えないようにしていた」のです。椅子の位置はわが子にとってはどうでもよかったのです。
他のことが目に入らないことと、あえて考えないことの違いは大きいです。
もし他のことが目に入らないのならば、転ぶことは想定外です。想定外の事態が起きたら、誰でも絶対に驚くはずです。しかしわが子が転んだ時、驚く様子はまったくありませんでした。
つまりわが子は、「テレビを見たいから椅子の位置なんかどうでもいい。もし転んでも大した怪我などしないから、椅子の位置なんて確認しなくても平気だ」と思っていたのでしょう。これが私が心配する、「平常時に手を抜く」という行為です。
ここには大きな問題があります。わが子がまだ3歳だということです。まだ3歳ですから正しい判断ができるとは限りません。手を抜く判断を間違えた一つの失敗で、大怪我をする可能性もあります。
わが子を育てる注意点
わが子は「安易に物事を考える」ことが多いです。なぜ安易に物事を考えることがあるか、おわかりになる方はいるでしょうか?
平常時に安易に物事を考えていないと、細かなところまで気を配ることができないからです。どこかで手を抜かないと、すさまじい情報を処理することができません。誰にも真似できない情報処理する疲れを、平常時に適当に行動して頭を休めることで補っているのです。
わが子はまだ子供なので、おそらく今はこの判断を間違えることがある気がします。
わが子が今までに3回、大怪我をしそうになりました。
1回目は階段を立って登れるようになったばかりのころ、最上段から後ろに倒れ込んできました。
3回目は家庭用ジャングルジムの一番上から、頭を下にして落下しました。
この2回は、私が何となく危険だと感じでわが子のそばでフォローしました。
階段の時は真後ろに体もひねらずにそのまま落ちてきましたから、頭や首に大ダメージを負った可能性が高いのです。わが子は危険回避能力は高いはずなのですが、あっさりと後ろ向きに転落してきました。
私にとってはまさに「予想通り!」というしかない状況で、しっかり受け止めることができました。
ジャングルジムでもさかさまに落ちるわが子を受け止めました。受け身を取れる状況ではなかったので、受け止めなければ大怪我をしたでしょう。
わが子の危機を救えた理由ですが、これがなんともオカルト的です。親だからわが子が危険な行為をするのが何となくわかるのです。高い所によじ登るなどの危険な状況に身を置いて、何となくその危険に対していい加減に考えていることがわかるのです。そのためフォローすることができています。もし私がわが子の親でなかったら、わが子は今頃ここにいないのかもしれません。
数えきれないほどジャングルジムにはよじ登っていますし、階段も毎日上り下りしています。それでも危ない時だけは確実にフォローできているので、わが子は今でも無事なのです。
ちなみにもう1回の危険な場面は、階段の12段目から転がり落ちたことです。これは私がわが子を見ていない時に起きたので、助けることはできませんでした。頭にこぶを作っただけで済んだのは幸いでした。最初の時よりも落ち方が良かったのでしょう。とっさに受け身を取って転がり落ちたそうです。
肝心な時に手を抜くことで、私も何度も死にそうになっています。わが子にはそんなことは絶対にさせたくありません。でもわが子はすべてが私そっくりなので、気持ちもよくわかりますからおそらく大丈夫。きっと正しくフォローし、正しく育てられるでしょう。
わが子はとんでもない危険なことをしますが、無茶をするのではありません。とても慎重な子供です。しかし普通なら危険を感じて慎重に行動すべき場合でも、安易に考えてあっさりと手を抜くのです。そのため無茶をする子供に見えてしまいます。
こんな特殊な子ですが、この子は私の子供です。私しか育てることができません。この子の気持ちをわかってあげられるのも私しかいません。
ちょっと特殊なわが子の父親が、私でよかったと心から思います。
この子を正しく育てていくのが私の義務です。