日記

子供が嫌われないように育てる重要性とその方法

教師にひどい指導を受けて自殺する生徒の話は、インターネットが普及した現在ではたびたび目にします。

全員に厳しいのならまだわかるのですが、問題なのは教師が生徒を差別しているという場合があることです。ある生徒にはとてもやさしくて、ある生徒にはとても厳しいという、依怙贔屓が根底にある場合があります。

教師に嫌われてひどい扱いを受けた場合は、自殺する気持ちが出ても仕方ない場合もあります。教師が生徒を差別してはいけないのは当然です。

しかし子供の親として、自分の子供が教師に嫌われれない子供になるように努めなければいけないと私は考えるようになりました。

このように書くと、教師も悪いが嫌われるような性格の生徒も悪いと私が思っているように感じる方がいるかもしれません。しかし絶対にそんなことはありません。特定の生徒に厳しく接するような差別をする教師は、私は許せません。しかしそれでもそんな教師が混じっている学校教育の中で、自分の子供が不利益になるようなことを避けたいのです。

おかしな人がどんなところにも混じっています。会社員だけでなく教師や警察官だって、すべての人がまじめで正しいわけではないと思います。

そのような人と関係する場合、自分が強くないとつぶれてしまうこともあるのです。

私(父親)の学生時代は教師に嫌われた

たくさんの時計の文字盤が重なり合っている

私が先日実家を整理していたら、私の小学校から高校までの通知表が出てきました。私の母親が保管していたようです。

その通知表を見ると、恐ろしい状況が浮かび上がりました。

私は小学校6年間、ただの一度も理科のテストで2番以下になったことがありません。すべてのテストで1番でした。すべて満点。負けたことがあるはずはないのです。それでも私の理科の成績は、すべてが最高点ではありませんでした。

 

小学生の時は、本をたくさん読みました。おそらく私よりもたくさん本を読んだ生徒はいなかったのではないでしょうか。

私は声を出して本を読むのは得意です。小学生から高校生まで国語の授業で教科書を読むときに、私よりもしっかり読める生徒はいなかったはずです。

それでも小学校の時の教師には、「本を読まない。読めない」というような所見を通知表に書かれていました。

 

中学校の時、3年の3学期の国語のテストでは、小テストも含めてすべてのテストで絶対にクラスで5位以内に入っていました。当時の通知表の判定では、間違いなく5をもらえる成績でした。しかし通知表には4ならともかく3を付けられました。

このような納得できない通知表の判定は、高校に入学しても続きました。

 

これはどう考えてもおかしいですよね。何がおかしいかというと、小学校、中学校、高校と、どこに行っても私は成績を悪く付けられるのです。常に理不尽な扱いを受けているということです。

「私が教師に嫌われやすい性格の人間だった」ということなのでしょう。

私は軽度の発達障害者です。できることは誰にも負けないくらいできますが、できないことが壊滅的にできないのです。できないことも含めて、いくつかの能力的、性格的な問題がありました。

  • 嫌いな勉強に集中できない。
  • 集中できない時は誰もがしないようなミスをする。
  • 忘れ物が多い。
  • 正義感が強すぎて曲がったことが許せない。教師が間違っていることに対して強く抗議する。しかも弁が立つから教師は私に話し合いで絶対に勝てない。

こうして書いてみると、私が教師に好かれることはまずないだろうなあと思います。

中学の時は音楽の教師に頭をタクトの持つ部分で思い切り殴られ、頭から血を流したこともあります。今なら大問題になるでしょう。

私にも転機が訪れた

机の上にある書類に鉛筆で字を書いている

そんな私にも転機が訪れました。

高校2年の時の体育祭に、私は1,500m走に出ました。

3年の陸上部のキャプテンが1,500m走は圧倒的に速いと、学校中の誰もが思っていたことでした。

1,500m競争が始まって、帰宅部の私が3位でラスト2週(400m)になった時、トップの陸上部キャプテンは1.5週(300m)でゴールでした。トップはあと300m走るのですが、私は400mも走らなければなりません。誰もが陸上部のキャプテンの圧勝と思ったようです。

私はラスト2週になった時、2位の陸上部の生徒のスピードが落ちたので、前に出て2位に上がってしまいました。この時私は1,500m走などの中、長距離走では生まれてから一度も後ろから抜かれたことがないことを誇りに思っていました。そのため2位の陸上部を抜いた時点で、絶対に抜き返されたくないと思ったのです。

抜かれたくないと必死に走りました。苦しすぎてどこを走っているのかすらわかりませんでした。ただ気が付くと、最終コーナーで目の前に前走者の足だけが見えました。

信じられないことですが、私が陸上部のキャプテンに追いついてしまったのです。

あまりに走りすぎて苦しすぎて酸欠が起こり、視界が著しく狭くなって前に走っている陸上部キャプテンの足がぼんやりと見えるだけでした。

ここで離されたら目がまともに見えないのですから、コースがわからなくてゴールできません。私はトップを走る陸上部キャプテンの後に着くしかありませんでした。そしてトップにぴったりくっついて2位でゴールしました。

ゴールラインもわかりませんでした。トップがスピードを緩めてトラックの内側に入ったので、ゴールラインを超えたと理解しました。

喉が切れて血の味がしました。しばらく動けなかったので、表彰式は不参加。昼食も取れませんでした。

 

後から友人に状況を聞きました。ラスト2週であり得ないスピードで私がスパートをかけ、全校生徒の大声援が起きたそうです。私は声などすべて聞こえなかったので、まったく気付いていませんでした。

その後で多くの教師から、「すごかったぞ」「お前がこんなすごい人間だったとは」と声を掛けてもらえました。笑ってしまうことですが、教師にこんな声を掛けてもらったのは、生まれて初めてだったのです。

 

その後私の学校生活は一変しました。教師が私を普通の生徒と同じように相手にしてくれるようになったのです。しかもテストの点数は変わらないのに、通知表の数値が高騰しました。テストの点以上の評価をもらえるようになったのです。

 

私はきっと教師にとっては生意気な生徒だったのでしょう。自分のこともしっかりできていないのに、人のことに文句を言う人間は嫌われます。きっと教師たちにとっては、私はそんな人間に見えていたのだと思います。私は自分のことをしっかりしてなかったわけではありません。頑張ってやろうとしても、発達障害のためにできないことがあり、それを悪いように捉えられていたのだと思います。

それでも私が何から何までいい加減なくせに、文句だけを言う生徒だと思っていた教師たちは、私の体育祭の健闘を見て考えを改めてくれたようです。

誰にも負けない根性があることをわかってもらえたことで、いい加減な人間ではないと信じてくれるようになったのです。

わが子が嫌われない人間になるために

お菓子の袋を持って歩いてくる子供

私は経験から嫌われる人間になると人生は大変なことと、嫌われないようにするためにはどうすればいいのかを学びました。

嫌われることは悪いことばかりではありません。理不尽に環境で生きていると、どんな状況でも負けない精神力が身に着きます。私は少々のことではへこたれない精神的な強さを身に付けることができました。

しかし誰もが同じように強くなれるわけではありません。依怙贔屓で辛い目に合ううちに、へこたれてしまうこともあるでしょう。そのためわが子には、できれば教師に嫌われない生徒になって欲しいと私は願うのです。

 

私がここまでの人生で学んだことは、口先だけの薄っぺらい人間にならないことが重要だということです。本気で頑張る根性と信念を持っていることをまわりに理解してもらえば、嫌われることはなくなる(可能性がある)のです。

これは絶対にわが子に教え込んでいきたいですね。

 

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